第三コーナー回ったあたり

日記とエッセイ。頭の中を掘り返すための。時々短歌。

ヤンママという表現はもはや死語なのかもしれないが

「ヤンママ」とは「ヤングな」ママなのか「ヤンキーな」ママなのか。仮に「ヤングな」ママだとしたら、わが実母はかつてヤンママだった。ヤンキーではなかったと思うのでもしかすると間違った表現であればご容赦願いたい。
とにかく母は21歳の若さで私を産んだ。当時としてはさほど珍しくはないのかもしれない。ただ自分が21歳の頃を思い起こせば遊んでばかりの学生だったので、わが母ながら大したものだと思う。
赤ちゃんの私を抱いた母の写真は、超ミニスカートにピタピタニット、とか、裾の広がったパンタロンにトンボの目みたいなサングラス、とか、ロングでふわふわ真ん中分けのパーマ、とか当時の若者の流行最先端、といった風情である。
私がまだ幼稚園に入る前、プレ幼稚園的な幼児教室とでもいうのか、そういうのに通っていたのだけど、秋に芋掘りのイベントがあった。芋掘り、言ってみれば農作業である。その時の写真に写っている母の姿は、真っ赤なミニスカートに紺ブレ、細いヒールのピタピタロングブーツという、およそ芋畑では見かけないTPOのかけらもない恰好だった。その横で私はサルみたいな顔で芋を頬張っている。カオスである。
集合写真でも周りから浮きまくっているのに母は満面の笑みである。強い。

そういえば義母が町内の溝掃除の折に「若い女の人なんやけどヒールの高いサンダルで来て作業もせずにただそこに居るだけ!」などとぷりぷり怒っていた。若かりし頃のわが母を見たような気がした。