第三コーナー回ったあたり

日記とエッセイ。頭の中を掘り返すための。時々短歌。

競争に勝てなくても負けとは限らない話

一人っ子だからなのか、競争が苦手でいつもどんけつだった。大人になってだいぶ経った今ではそれなりに要領が良くなったのが不思議なぐらいである。負け戦にはそもそも手を出さなくなったというのもあるだろう。


子どもの頃は何かにつけ競争に晒される機会が多い。
たとえば理科の実験の時。一人一本ずつ試験管を使うのだが、先生が配るのではなく児童が各自、試験管のたくさん入った箱に取りに行くというシステムだった。当然競争になる。
程よいサイズのきれいな試験管は早い者勝ちで要領の良い子が手に入れる。とにかくこういう場面でのろまだった私は、バーゲンセールさながらの試験管の箱の前で右往左往するばかり。皆が席に戻るころにようやく箱の中を覗き込むと、汚れたり割れたりしたものや極端にサイズが小さいか大きいもの、そんな試験管しか残っていなかった。いったいどの要素を妥協してどの試験管を選んだのか覚えていないが、甘んじて受け入れていたのは覚えている。

この一連の流れ、たぶん今どきなら問題になりかねないのだろうけど、当時は呑気な世の中だった。


またある時は、お絵描き教室で素焼きの器に絵付けをする課題の日があった。

動物の形をした器がたくさんあって各自が好きなものを取るのだが、ここでも私は出遅れて手に入れたのはカエルの形の器だった。ウサギやイヌといった可愛い器はあっという間に無くなってしまった。ちなみにこの後の顛末は幼心にもちょっとショックだったので、別の機会に書こうと思う。


実はいい加減大人になってからも盛大に競争に負けたことはある。
就職したての頃、職能団体の新人研修の一環でグループごとに飯盒炊さんを行う機会があった。協力関係と親睦を深めるというアレである。
7~8人ぐらいの班が10グループぐらいあったと思うが、ここでも食器や調理器具は早い者勝ちというシステムだった。
私は調理器具の担当だったが案の定すっかり出遅れてしまい、柄のついていないお玉しか残っていなかった。カレーを作るのに柄のないお玉は相当きついものがある。だからというわけではないと思うが出来上がったカレーはシャバシャバのゴリゴリだった。キャンプなどではよくある話である。
しかしこの時は私のみならず、班員全員がのんびり屋だったようで、なんとテーブル(野外の、椅子も固定されているあれ)を取る競争にまで負け、レジャーシートに胡坐をかいて円陣を作って食べた。班員の親睦がそれはそれは深まったのは言うまでもない。そもそも柄のないお玉を大笑いして許容してくれたようなメンバーだ。
どんけつも何も悪いことばかりではないひとつの例である。